多くのチームでカード化された選手

 カード化される選手は、レギュラークラスの打者、エース級の投手、話題の新人選手。ここでは、多くのチームでカード化された選手を紹介していく。球団を渡り歩く選手は何人もいるが、その度に、カード化されるかといえばそれは別問題。ここで、紹介されるのは、ある程度の実績を持った者で、かつそれぞれの球団で活躍した選手のみ。移籍しても、そこで活躍できなかったり、注目されなければカードになることは無い。自分の持っているカードを見たり、リストや、選手名鑑等を調べてみたりして、4球団以上でカード化されている選手を掲載していく。

◆6球団達成(1名)
①工藤公康(西武、ダイエー、巨人、横浜、西武、ソフトバンク)
 10年に古巣西武に復帰し、同年第2弾で、ついに5球団達成。
 11年は契約する球団がなかった。12年に復帰あるかと期待されたが、契約するところはなく、結局、12年に現役を引退。一時は、横浜の監督かと思ったが、調整不足で断念。テレビ朝日の解説として活躍していた。
 どこかの球団で監督となったときには、カードになる可能性あり。
 で、15年にソフトバンク監督に就任。待ち構えていたが、ついに監督カードが発行されて、6球団達成。
 17年現在、6球団からの発行は、最多記録。
 江夏投手より凄いのは、13球団から勝利、全球団勝利を記録している。13球団? っていうのは、2004年で解散した近鉄、新興球団の楽天から勝利を記録しているため、こう呼ばれてる。
 22年でソフトバンク監督を勇退。

左から
83年 №194(西武:82~94)ファーストカード
95年 №156(ダイエー:95~99)
00年 №118(巨人:00~06)
07年 №215(横浜:07~09)サインは09年2月、宜野湾でもらう
10年 №175(西武:10)
15年 M-1(ソフトバンク:15~21)

◆5球団達成(5名)                     
②江夏豊(阪神、南海、広島、日ハム、西武)
 この項目を作成しようと思ったのは、この人がいたから。入団はまず、阪神タイガース。先発として、入団以来9年連続2桁勝利。タイトルも数多く獲得。カード裏には「いまの好調を持続するには太り過ぎだけが強敵、気を配ってほしい」なんてコメントが載っている。しかし、肩を痛め、先発完投が難しくなり、リリーフを任されることが多くなった。南海に移籍すると、野村監督のもと、リリーフエースとなって大活躍。
 野村監督解任後には、広島へ。ここでも古葉監督のもとで、これまたリリーフエースで活躍。
 私の記憶にあるのはここから、日ハムでは大沢監督のもと、リリーフエースで活躍。81年のシーズン優勝にも大きく貢献。しかし、83年で大沢監督から植村監督に代わり、ここで、西武へと移籍した。
 今では、日本人選手がアメリカ・大リーグ挑戦なんていうことは、それほど驚くべきことでもないが、当時としては珍しかった。西武・広岡監督と合わず、起用法、調整の仕方などでシーズン途中から戦力ではなかった。そして、シーズン終了後、渡米し、ブリュワーズのキャンプに参加。あと一歩のところで惜しくも大リーグ入り断念。
 西武時代のカードのコメント(星野仙一)にも、「優勝請負人、抑えの切札の異名を持つ男の最後の花道だ。これまでの生活のリズムが変わるが、場所を与えれば働く男だ。左打者のワンポイントに使われてもクサらなければいいが、コントロールがままにならなくなってきた」と、まさにその通りになってしまった感がある。
 江夏豊といって思いつくエピソードは、「江夏の21球」と、球宴での「9者連続三振」。もっと凄いのは、9者連続三振の前後にも三振をとっていたので、オールスター連続記録としては15連続だというのを宇佐美徹也さんの本を読んで知ったこと。引退後は、フリーの解説者。コーチ歴なし。
 変わった記録(失礼な言い方かも…)として、11球団から勝利している。阪神からは勝ち星を記録することができなかったが、セーブは、12球団(全球団)から記録している。

左から
73年 №100(阪神:67~75)
76年 №518(南海:76~77)
79年 V2(広島:78~80)
83年 №586(日ハム:81~83)
84年 №201(西武:84)

③木田優夫(巨人、オリックス、オリックス、ヤクルト、日ハム)
 日本球界5球団目に突入。こちらも、工藤と同様、10年の第2弾で5球団目がカード化された。一時、大リーグ・タイガースに入団した時は、注目されていたっけ。ほとんど活躍できずにオリックスへ。再び渡米するも、全く活躍できず、再びオリックスへ。06年からのヤクルトでは、中継ぎで活躍。10年は、活躍の場を北の大地に移す。12年で現役引退。

左から
90年 №205(巨人:86~97)最多奪三振を記念したカード、金枠
98年 №153(オリックス:98)オリックスに移籍した最初のカード
00年 №153(オリックス:00~01)オリックスに復帰したときの最初のカード
06年 №176(ヤクルト:06~09)ヤクルトでの最初のカード
10年 №152(日ハム:10~12)日ハム移籍後最初のカード

④落合博満(ロッテ、中日、巨人、日ハム、中日)
 ロッテ時代に3冠王を3度達成。しかし、優勝争いとは無縁のチームであった。牛島らとのトレードで中日に移籍。88年の優勝に貢献。星野監督を胴上げした。その後、巨人に移籍。2000本安打達成、長嶋監督に誘われて入団したものの、清原が入団してきたために追い出される。97年には日ハムへ。98年に寂しく引退した。中日の監督のカードを含めて5球団。
 2011年シーズン途中、来季の契約を結ばないとの報道があった。優勝争いをしているのにシビアだね。他球団で監督をしてカード化されるのであれば6球団目ということになるのだが。

左から
85年 №446(ロッテ:79~86)
87年 №102(中日:87~93)
94年 №49(巨人:94~96)
98年 №160(日ハム:97~98)
10年 TM2(中日監督:05~11)

⑤中村紀洋(近鉄、オリックス、中日、楽天、横浜)
 近鉄で順調に活躍するんだろうなって思っていたら、近鉄の消滅、中日へのテスト入団、FAで、楽天移籍と、予想外の展開へ。私が05年冬、フランス旅行からの帰国便で初めて知ったニュースが、この中村のオリックス入団。よく調べたら仰木監督が亡くなったから清原とこの中村が頑張るってな記事が出ていたような。09年は、もう少し中村が打っていたら楽天は優勝していたかもね。
 11年シーズン途中に横浜に入団。同時に、5球団目のカード化が現実味を帯びてきたので、注意していたら、11年の第3弾で、見事カード化された。

左から
95年 №70(近鉄:92~04)ファーストカード
06年 №26(オリックス:06)
07年 №171(中日:07~08)
09年 №148(楽天:09~10)
11年 №228(横浜:11~14)

⑥寺原隼人(ダイエー、横浜、オリックス、ソフトバンク、ヤクルト)
 13年から、古巣のホークスに復帰したため、4球団達成。復帰後のソフトバンクでの初勝利には、ヒーローインタビューでは、目に涙をためて、インタビュアーの質問に答えていたっけ。13年の第2弾でカード化されたので、このコラムで取り上げた。
 18年にはヤクルトに入団。19年にカードが発行され、5球団目となった。

左から
03年 №61(ダイエー:02~06)
08年 №126(横浜:07~10)サインは、09年宜野湾キャンプでもらった。
11年 №105(オリックス:11~12)
15年 №171(ソフトバンク:13~18)
19年 №118(ヤクルト:19)

◆4球団達成(9名)                     
⑦野村克也(南海、ロッテ、西武、ヤクルト、阪神)
 選手としては、3球団(南海、ロッテ、西武)、監督としては4球団(南海、ヤクルト、阪神、楽天)。南海時代は監督兼選手だったので、6球団に所属していたことになる。しかし、ロッテ時代は、カルビーがカード化しておらず、楽天監督時代もカード化はされなかった。
 もちろん、今後、監督をするなら5球団目の可能性が出てくるわけだが可能性は低いか?

左から
73年 №81(南海:54~77)
79年 君が選ぶスターは誰だ!(西武:79~80)職場の友人T氏より寄贈
95年 C-36(ヤクルト監督:90~98)
99年 №106(阪神監督:99~01)

⑧武田一浩(日ハム、ダイエー、中日、巨人)
 4枚目の巨人のカードは、12球団から勝利の時の写真を使用した記念カード。当時は、3人目だったんだね。今では交流戦もあるし、昔より容易にできるだろうが…。投手としては大成したし、98年のダイエーキャンプ時には、緊張している私に気楽に話しかけ、サインまでしてくれていたので好印象だったのだが、最近のNHK・BS大リーグ中継での解説はいただけない。なんであんなに実況のアナウンサーに喰ってかかるようなコメントをするのだろう? 否定的な言葉を多く並べるのにも納得がいかない。ちょっと性格的に難しい人なのかもしれないなぁ。

左から
91年 №87(日ハム:88~95)
97年 №71(ダイエー:96~98)
99年 №83(中日:99~01)
02年 EX5(巨人:02)

⑨門倉健(中日、近鉄、横浜、巨人)
 日本球界4球団を渡り歩き、巨人退団後、韓国・SKワイバーンズに所属。先発投手として活躍中。どのカードも、あごの長さが目立つ。
 12球団から勝利しているが、こちらは、全球団から勝利したとは言えない。なぜなら、日本球界に所属してた時には、近鉄が存在しており、ここからは、勝ち星を記録することはできなかった(物理的に、パリーグに1球団しか所属していなければ無理)。
 再び、日本でのプレーが実現し、カード化されれば5球団目になる。シーズン途中に楽天、オリックスあたりに入団なんてこともあるかも知れない。期待して待とう。
って思っていたが、残念ながら日本球界への復帰はかなわなかった。

左から
97年 №133(中日:96~99)ファーストカード
00年 №101(近鉄:00~03)近鉄時代に発行された唯一のカード
06年 №70(横浜:04~06)横浜時代に発行された唯一のレギュラーカード
07年 №197(巨人:07~08)巨人時代に発行された唯一のカード

⑩石井浩郎(近鉄、巨人、ロッテ、横浜)
 横浜時代に、巨人から本塁打すれば、12球団から本塁打を記録できたが、達成できず。
 現役を引退後は、西武2軍監督になったりもしたが、ほとんどは、解説者として活躍中。

左から
91年 №69(近鉄:90~96)ファーストカード
97年 №226(巨人:97~99)巨人移籍後の最初のカード
00年 №18(ロッテ:00~01)ロッテ移籍後の最初のカード
02年 N05(横浜:02)横浜移籍後の最初のカード

⑪加藤伸一(南海・ダイエー、広島、オリックス、近鉄)
 最後に見つけた選手。何となく、ダイエー、近鉄、オリックスがあることは知っていたが、広島時代のものがあるかどうかはきちんと確認していなかった。で、南海はどうかなって、探したけれど残念ながら見つからなかった。カード自体がないと思う。

左から
89年 №82(南海・ダイエー:84~95)
97年 №90(広島:96~98)
01年 №111(オリックス:99~01)
02年 N09(近鉄:02~04)

⑫山﨑武司(中日、オリックス、楽天、中日)
 楽天を退団し、12年から再び中日に戻ったので4球団目達成。しかも、移籍してすぐの2012年第1弾で達成。で、レギュラーで活躍できるのか。交流戦ではDHもあるが、その他の試合では、代打専門かもしれないね。

左から
96年 №68(中日:87~02)
03年 №162(オリックス:03~04)
05年 №188(楽天:05~11)
12年 №38(中日:12~13)

⑬フェルナンデス(ロッテ、西武、楽天、オリックス、西武、楽天、オリックス)
 所属球団は、6つ。しかし、来日した最初の球団のロッテと、途中入団ながらクリーンナップで活躍していた2回目の西武在籍時にカード化されていなかった。なんで、カード化されなかったんだろう?
 ロッテ時代の03年は、規定打席に達して3割30本をクリア。09年でオリックスを退団。どっかの球団に途中から入団ってあるかも…。で、10年に西武に途中加入。ある程度活躍すれば、カード化されるだろう。11人目に紹介できるのも、時間の問題だと思っていたが、結局、11年ではカード化されず、残念。結構活躍していたから第3弾で期待していたのに。
 で、12年は、楽天に復帰。第2弾で見事カード化された。ロッテと西武でカード化されなかったことが悔やまれる。
 13年7月末、オリックスと契約。本年中のカード化は厳しいが、来年またチームに残留し、活躍すれば5球団目のカード化となるかもしれない。マークしておこう。

左から
04年 №80(西武:04~05)
06年 №142(楽天:06~08)
09年 №118(オリックス:09)
12年 №98(楽天:12)

⑭藤井秀悟(ヤクルト、日ハム、巨人、横浜)
 所属球団は、4つ。12年からは横浜で活躍することとなった。“野球小僧”のブログはよくチェックしている。最初にトレードした時には、自主トレ先で聞いてショックを受けていた時の心境が綴られていたっけ。12年の第3弾でなんとかカード化して欲しい。
 13年には、開幕投手にもなったが、第2弾までカード化されなかった。第3弾に期待。(2013.7.6)
 で、第3弾で見事カード化された。(2013.8.7)

左から
01年 №86(ヤクルト:00~07)
08年 №148(日ハム:08~09)
10年 №104(巨人:10~11)
13年 №187(横浜:12~)

渡辺直人(楽天、横浜、西武、楽天)
 17年オフに、楽天への復帰が発表された。退団も、復帰も松井稼頭央の入団、退団とほぼ同時期である。
 最後、楽天に復帰されて発行されたカードというのは、引退決定後、翌年に「レジェンドカード」としてである。見事、4球団目達成・

左から
07年 №262(楽天:07~10)
11年 №150(横浜:11~13) 
14年 №176(西武:13途~17)
21年 L1(楽天:18~20)

追記
 このコラムを作るに当たり、自分の所蔵しているカードホルダー、選手名鑑を何度も見返し、15名の選手(監督も含む)が該当することが分かった。しかし、この他にも目をつけていた選手がいたわけであって、それらはどの球団でカード化されなかったのか? 原因は何なのか? を記録しておこうと思う。

①加藤英司(旧名:秀司)(阪急、広島、近鉄、巨人、南海)
 通算2055安打。所属球団は5つ(阪急、広島、近鉄、巨人、南海)。5球団全ては無くても、4球団はあるだろうと思ってカードを探したがない。なんと、阪急、広島の2球団しかないのだ。なぜ? 加藤は、福本豊、山田久志といった選手とともに阪急に入団した花の44年組。入団3年目からレギュラーとして活躍。しかし、晩年は、広島→近鉄→巨人→南海と渡り歩き、1987年に引退。私の記憶では、1986年に巨人に移籍したときに、「なるほど、巨人で2000本安打を記録して、辞めるんだろうな」って思っていたら、出場機会に恵まれず(飼殺し状態だった)、起用法も一定していなく100打席ぐらいしか与えられなかった。そして、また地味なパリーグへ。そして、かつての同僚山田久志から2000本安打を本塁打で記録した。結局、セリーグの水には合わず、パリーグでのみ活躍できた選手であったのだ。
 で、カード化されなかった近鉄、巨人、南海を調べてみよう。
近鉄に在籍していた2年間で、カード化された自チームの選手はというと、
84年は、梨田、大石、羽田、谷、久保、金村の6名
85年は、梨田、大石、羽田、石本の4名しかカード化されていない。もう、完全に近鉄軽視っていうか、パリーグ軽視だろうな。非常に残念だ。加藤は、在籍2年、ともに規定打席に達し、クリーンナップを打っていた中心選手。
巨人時代には、多くの有名選手に埋もれてしまったのは理解できる。
で、87年、南海のカードはというと、
香川、門田の2名…。もう、こういう時代は来ないとは思うが、非常に悲しいことだ。いずれ、年度別考察の中で、詳細を明らかにしていく。85年に有藤(ロッテ)が、カード化されたが、もう選手のピークを過ぎていたから2000本安打を達成したからカード化したのだろう。であれば、この加藤も南海時代にせめてカード化されても良かったのでは?
 阪急以外のカードは、これを含めて広島時代の数枚? 阪急のカードはもう50枚近くあるのだが、詳細は分からない。

②福盛和男(横浜、近鉄、楽天、楽天)
 所属球団は、3つだが、海外から戻ってきたときの入団が再び楽天のため4つ(横浜、近鉄、楽天、楽天)とカウント。中継ぎはイメージ的に目立たないもの。昔なら決してカードにならなかったが、04年ならと期待して探したんだが…。結局、近鉄時代にカード化されていなかったので対象外。

③吉田豊彦(南海・ダイエー、阪神、近鉄、楽天)
 所属球団は4つ。
 阪神以外の3球団はあることが分かっていたが、阪神はどうだったっけ? で、阪神時代のカードを探したんだけれど、残念ながらなかった。楽天のカードは600試合登板達成の記念カード。

④中嶋聡(オリックス、西武、横浜、日ハム)
 あぁ。横浜のカードを見つけて時には、「これは いける!!」って思ったんだが…。結論は、西武時代のカードがないため紹介できない。松坂とのバッテリーで注目されていたと思っていたんだが…。オリックス、西武、横浜、日ハムと4球団に在籍。10年現在、選手兼コーチとして日ハムで活躍中。22年現在オリックス監督。ひょっとしたら、近々4球団目が発行されるのでは?

⑤セギノール(オリックス、日ハム、楽天、オリックス)
 10年5月、オリックス復帰が報道された。これで、オリックス、日ハム、楽天、オリックスと4球団で紹介できる可能性ができた。しかし、第3弾に間に合うか? で、11年は、今のところどこにも契約していないなぁ。その後、残念ながら、カード化されされずに退団、引退。

⑥下柳剛(ダイエー、日ハム、阪神、楽天)
 11年限りで阪神を退団。楽天で4球団目になった。当然、4球団目だからと準備していたら、ダイエー時代のカードが無かった。ダイエー時にもかなり活躍していたイメージがあったけれど、抑えはやっていなかったっけ。中継ぎで毎試合投げていたと思うが。ただ、最近でこそ、中継ぎ投手が注目されたり、時には脚光を浴びたりしているが、当時はそうでもなかったかなぁ。ましてや、中継ぎ投手がカード化されるなんて昔は無かった。と思うと、下柳投手のケースは余計に残念だ。結局、13年3月引退発表。

⑦ホセ・オーティズ(オリックス、ロッテ、ソフトバンク、西武)
 所属球団は、4つ。12年6月7日に西武に入団。来年いるならまだ焦らなくてもよいが、今年1年だけの在籍ならば、第3弾で何とか発行してもらいたい。そのためにはすぐに活躍しないといけないね。
 13年には、4番も打っているが、第2弾までカード化されなかった。第3弾に期待。で、シーズン途中自由契約が球団から発表された。4球団目のカード化は叶わなかったが、今後、他球団での契約があれば、カード化の可能性はある。残念ながら現役を引退。

⑧ペーニャ(ソフトバンク、オリックス、楽天、ロッテ)
 17年途中にロッテに入団。4球団でカード化される可能性が出てきた。残念ながら現役を引退。

◆これからの展望
 加藤英司の項で熱く語ったが、現在のカルビーは、各球団、カード化される人数はほぼ同数、移籍が以前よりも盛んになってきたので、ここで紹介できる選手も増えると思われる。

カルビープロ野球チップスカード大好き

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